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広島簡易裁判所 昭和41年(ろ)258号 判決

被告人 佐々木敏和

主文

被告人を罰金一、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四一年四月二九日午後九時五〇分頃、広島県佐伯郡廿日市町大字地御前地御前神社前付近道路において、普通乗用自動車広五の六一二号を運転進行するにあたり、同車の前面ガラス内側に法令の定める検査標章が表示されていることを確認して運転すべき注意義務があるのに、同車には当然検査標章が表示されているものと誤信してその不表示に気付かないで運転した過失により、法定の除外事由なくして法令の定める検査標章を表示していない同車を運行の用に供したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

一、被告人の判示所為は道路運送車両法第一〇九条第六号、第六六条第一項、同法施行規則(昭和二六年八月一六日運輸省令第七四号)第三七条の五に該当するので、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一、〇〇〇円に処しし、右の罰金を完納することができないときは、刑法第一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととする。

二、ところで、本件は前記のとおり検査標章不表示の罪の過失犯と認定のうえ、これを処罰したものであるが、右罪を規定する道路運送車両法(以下同法と略称する)第一〇九条第六号、第六六条第一項その他同法条項中には直接過失犯を処罰する旨の明文規定がないことから、右罪の過失犯を処罰できるか否かについては、同法を含む行政刑罰法規の解釈運用上疑義の存するところなので以下簡単にこれを肯認した理由を述べることとする。

三、いわゆる行政犯についても、罪刑法定主義の建前から刑法第八条により刑法第三八条第一項の適用があり、過失犯を処罰できるのは当該法律に「特別の規定」がある場合に限ることはいうまでもない。

而して、右「特別の規定」ある場合とは、(一)過失犯処罰の明文規定ある場合に限るとして特別の規定の範囲を狭く解する立場(木村亀二、刑法総論七九頁)と、(二)明文なき場合でも当該法規の趣旨、目的等を合理的に判断し過失犯処罰の趣旨、注意を窺うに足る場合をも包含するとして特別の規定の範囲を広く解する立場が対立し、後者については更に(イ)行政法規の実効性確保を重視して過失犯処罰を広範囲に認める見解(美濃部達吉、行政刑法概論一一一頁。八木胖、行政刑法九六頁―九七頁。田中二郎、行政法総論四〇五頁以下等。大判大正二年一一月五日刑録一九輯一一二一頁等)と、(ロ)罪刑法定主義の原則を重視して過失犯処罰の法意を認定するにあたり、合理的な基準により相当強い絞りをかける見解(近時の最高裁判所判例および有力な学説、例えば「その取締る事柄の本質」という基準により過失による外国人登録証明書の不携帯および古物営業法における取引記帳義務違反各罪の処罰を肯定した最決昭和二八年三月五日刑集七巻三号五〇六頁および最判昭和三七年五月四日刑集一六巻五号五一〇頁。「行政法の義務の性質に着目し許可又は特許に付随して課される積極的協力義務に違反した場合」という基準により過失犯処罰の法意を肯定する藤木英雄、警察研究三四巻二号三頁以下「行政犯と刑法三八条一項」等の各立場)が存することは周知のとおりである。

当裁判所も基本的には右(ニ)の(ロ)の見解に立ち、当該行政刑罰法規に過失犯処罰の明文規定がない場合でも「当該規定の解釈上故意を要しない趣旨が確認し得られる場合」換言すれば「当該行為の刑事学的実態に徴して当該法規が過失犯を予想したものと認められる場合」には過失犯処罰を肯定することは許されるものと考える(飲食物用器具取締規則違反被告事件に対する大判大正七年五月一七日刑録二四輯五九三頁。井上正治、判例評論五二号五頁以下参照)。

右の見解に対しては、過失犯処罰の明文規定を設けなかつた立法上の失策を解釈で救済補填するもので刑罰法規の解釈上許されないとの批判もあるが、必ずしも当を得ないものと解する。

けだし、必ずしも故意を要しない法意が当該規定の解釈上容易に認められるときには、立法に際し過失犯を罰する法意が当然明白であるとして、殊更特別の規定を設けないこともありうるからである。

四、そこで検査標章不表示の罪に関する同法第六六条第一項、第一〇九条第六号の規定(以下同条項と略称する)の解釈上必ずしも故意を要しない法意が確認しえられるかどうかについて、検査標章の意義必要性を踏まえながら同標章の不表示運行の実態面に着目して検討を加えることにする。

先ず、同条項が軽自動車の保険標章の表示等に関する自動車損害賠償保障法第九条の二および三の規定等と相俟つて、今日の異常な交通事情下における絶対的要請である自動車(軽自動車を除く、以下同様)の整備安全性および損害保険制度の確保-具体的には整備不良、保険未加入車の運行を防止-する趣旨から、既登録、検査済の自動車の運行供用者に対し当該自動車の前面ガラスの内側に前方から見易いように検査標章を貼りつけることを要求しているものであることはいうまでもない(同法第六六条第二、三項、同法施行規則第三七条の五、第四五条等参照)。

次に、検査標章不表示運行の実態についての当裁判所の調査、体験(過去数年間における同事件処理に際しての体験と交通切符による出頭違反者に対する調査結果等)によると、前述の如き検査標章の意義、必要性が自動車運転者間に周知徹底し、その表示運行が常識ともなつている昨今においては、故意に同標章を表示しないで運転する事例は比較的少く、その大半は、本件被告人も自認するように、既登録、検査済の車には勿論、かつて同標章の表示を確認したことのある車には同標章が当然貼付されているとの安心感から、乗車の都度一々同標章の表示の有無を確認しないで運転することが多いため、警察官に指摘検挙されて初めてその未貼付、剥落の事実に気付くといういわゆる確認義務を怠つて不注意(過失)によりその不表示に気付かないで運転する事例であることが認められるのである。

右の如く、検査標章不表示運行なる行為は、不注意(過失)によつてその不表示に気付かない場合が多いという実態に着目すれば、同条項にたとえ過失による場合を含むと明言されていなくても、同条項にいう同標章不表示運行なる行為自体過失を当然予想しているものと解することができるし、更にこれに付加して消極的ではあるが、同条項の構成要件自体が全く形式的な行為を捉えており、その法定刑も三〇、〇〇〇円以下の罰金に限られている事実等を綜合して合理的に判断するときは、同法第一〇九条第六号で処罰する同法第六六条第一項の規定に違反した者とは、故意に検査標章を表示しないで即ち検査標章が表示されていないことを認識しながら敢えて自動車を運行の用に供した者ばかりでなく、該標章表示の有無を確認すべき義務を怠り、不注意(過失)によつて同標章の表示されておらないことに気付かず、自動車を運行の用に供した者をも包含する法意と解するのが相当である。

以上の理由により本件被告人の過失による検査標章不表示の所為につき、判示のとおり同条項を適用してその罪責を肯定した次第である。

五、最後に、昨今における自動車の異常な普及増加に伴い、同種事犯が激増している折柄、前記三項で述べた如く同法を含む行政刑罰法規の個々の規定の解釈上過失犯処罰の法意認定の基準が必ずしも一定していないことなどから、裁判所の見解如何により同種事犯に対する処罰の範囲に広狭を生ずる虞が多分にあり、かかる結果を招来することは法的安定性の面からも決して好ましくないので、自動車運転免許証不携帯罪等の過失犯処罰の可否を契機に過失犯処罰の明文規定が設けられた道路交通法にならい、可及的速かに、道路運送車両法、自動車損害賠償保障法等の各罰則中過失犯処罰の法意を肯認しうる各罪について、過失犯処罰の明文を設ける立法措置が講じられ、従来の解釈運用上の疑義が一掃される日の近いことを切に要望する。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 小川国男)

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